喫茶という風景

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[▼一番はじめに]
 2003/09/26  中国茶に至る長く曲がりくねった道
   
 「中国茶を飲むようになったきっかけは?」
 よく聞かれる質問です。
 答えは人それぞれだけど、例えば、 「現地に行って本場の美味しさを味わった」「健康やダイエットにいいと思った」「渡辺満里菜の本を読んで(笑)」etc.
 私の場合、どれでも無い。
 「シルクロード、東西交流史が好きだったから」・・・わかるような、わからないような、ですね。
 何故、「シルクロード」や「東西交流史」にハマッたか、それは、以下の経緯によります。

1972   アニメ「海のトリトン」(朝日放送系)
1974-75 ドキュメンタリー「未来への遺産」(NHK)
1979-80 アニメドキュメンタリー「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」(NHK)
1980-  ドキュメンタリー「シルクロード」(NHK)

「海のトリトン」
 マンガの神様・手塚治虫の原作(原題「青いトリトン」)をベースに、「ガンダム」の監督・富野喜幸が演出したTVアニメ。
 大西洋に沈んだと言われるアトランティス大陸人の末裔である少年トリトンが、海の平和を脅かすポセイドン族と戦う話。 話はそう単純ではなくて、最終回に大どんでん返しがあったりするんですが、ま、それは置いといて。
 最初は子どもなら誰でもそうであるように、アニメ番組を単純に楽しんで見ていただけのはずなのです。 が、途中から背景である「神話」「伝説」にハマリだしたのです。 「アトランティス」だの「ムー」(注:アヤシイ雑誌ではありません)だの。ギリシア神話に北欧神話、もちろん日本神話も。 おかしな子どもだったと思われます。(苦笑)
「未来への遺産」
 NHKの歴史・文明系ドキュメンタリーの先駆的番組と思われます。最近、DVD化されたので、ぼちぼち買い集めつつあり。
 世界各国の遺跡を訪ね歩き収録された番組。音楽も武満徹と秀逸。全15回だったはずですが、そのサブタイトルときたら、 「失われた時への旅」「天は語らず廃墟をして語らしむ」「誰がどんな情念で」「はるかなる伝言」「ヴィーナス彼女の周辺」 など、少しばかり知恵がつきはじめた年代の心の琴線を震わすような言葉ばかり。 遺跡は単なる過去の遺物なのではなく、そこに当時の人間の日々の生活のこころが刻まれている。 太古からの人間の情のダイナミズムが押しよせて、わしっと心を握られてしまったのです。
 当時の目標:大学の考古学科に行く。わはは(^^ゞ
「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」
 「東方見聞録」と歴史に基づいて、マルコ・ボーロの生涯と旅の話を描いたアニメ。 …なのですが、行く先々の風景を実写で挿入し、ドキュメンタリー性を持たせた番組です。
 バーミヤン大仏の最初のイスラム教徒による破壊(タリバンによるものでなく)など、 ポーロの時代より遥か過去の話をタイムスリップ的な幻想として挿入するといったアニメだからこそできる演出、 実写の挿入タイミング・画面構成、非常に優れた番組だったと思うのですが、 フィルムが散逸してしまったとかで(一部残っているとの噂も)、残念ながら、今は見ることができないようです。
 今思えば、ひょっとしたら、翌年から始まる「シルクロード」の前振り的番組だったのかもしれません。
 そうであるなら、まんまと嵌められました。
 そう言えば、久保田早紀の「異邦人」が流行ったのも、この年だったか。
「シルクロード」
 先頃、NHK50周年関連として再放送されているし、あまりにも有名な番組なので、説明の必要もないでしょうか。
 当時の私は、もう、何でもかんでも「シルクロード」。 東は日本、西はイタリアまで、関わりのあるもののことは何でも知りたい!

 絹、陶磁器、香辛料、そして、お茶・・・それらは、シルクロードと言われる交流の路を行き来したものだから、 手に入れたり、食べたり飲んだりしたい! と思うのは、当時の気持ちの勢いからは、ごく自然な成り行きだったのでした。 こうやって、ようやく、中国茶へと辿り着くところまでは来たのですが・・・。

 p.s.考古学科への入学は偏差値不足により断念。(^^ゞ

 2003/06/09  原風景
   
 放ったらかしのページ、初めてのまともな文章アップです。
 まずは、お茶のある風景との出会いから。

 私の出身地・島根県松江市は「一日八回お茶を飲む(*)」と言われるほど、やたらとお茶を飲む土地で、 生活のそこここにお茶が散りばめられている暮らしがありました。やたらと飲む所為か、お茶の種類も煎茶に番茶(焙じ番茶)、 抹茶といろいろ。抹茶も江戸時代のお殿様が始めた地方流派があるくらいで、そんなに格別なものだという印象はなく。
  (*) 寝覚めの一杯、朝飯で一杯、10時に一杯、昼飯で一杯、3時に一杯、仕事上がりに一杯、晩飯で一杯、 寝る前の一杯(回数うろ覚えなので間違ってるかもしれません)

 日々の食卓には急須が一個以上スタンバっていて、 向かいのおばちゃんが貰い物のおすそ分けに来たら「まぁ上がって」と茶を出すし、 ゆのみのお茶が無くなったと言っては茶を注ぎ足す。茶を出されたら、まず3杯は飲んで帰るのが当たり前。 家庭訪問の先生は「お茶を出すなら1杯以上は注がないように親に言っておけ」と注意を出すのです。
 幼い頃の記憶を辿ると、何かお祭りでもある時だったのでしょうか、改築前の古い台所の土間に設置されたくど(かまど) に釜をかけて、お茶を大量に焙じていました。

 自営業というか何というか、両親は家には居るが働いていたので、私は幼い頃はもっぱら祖母に育てられました。 祖母は昔ながらの、三時のお茶は抹茶の人だったので、小学生の頃、祖母の「三時」にお付き合いすることが何度もありました。 (とは言え、男の子と三角ベースしたり、秘密基地だ〜と木登りしたりするような、生傷の絶えない子供だったから、 毎日では無かったと思うんですけどね(笑))
 祖母のお茶は何だかのんびりしたお茶でした。私が点てたお茶を「きれいに泡が立ったねぇ」と誉め、 「茶碗の一番きれいな所を人に見せるんだね」とさりげなく茶碗の回し方を教え、 どこなんだか解らないと言うと「一番飲みやすそうな所から飲めばいいんだよ」と何も咎めない。 ・・・たぶんこれが、私の喫茶の原風景だと思います。
 お茶は好きに飲めば良いもの。ただ、一緒に飲む人に少しだけ気を配って。

 少し後悔しているのは、抹茶とはそういうもの、勝手流で良しと思ってしまって、習いに行くことをしなかったことです。 体も頭も柔軟な若い頃にやっておけば、なにかしら身についていただろうに。最近、煎茶を習い出して思ったことに、 体が見たまま即座に反応しない、所作の理由をひとつひとつ頭で理解・納得していかないと動作が続かない、 しかも理解も遅い・・・。うーん、悔やんでもせんなし。

 2002/06/02  菖蒲茶会
   
 縮景園で催された菖蒲茶会(煎茶)に誘っていただきました。□写真はこちら□

 煎茶の道具やお点前って、中国茶と抹茶の茶道を足して二で割ったようですね。(←ずいぶん乱暴な物言いですが(^_^;)

 煎茶のお茶席って、表現することをたのしむ場(プレゼンテーション・アミューズメント)なのかな、と感じました。
 お茶やお菓子に対して『茶銘』『菓銘』を、場に応じて付けるのだとか。 実際の製品名・商品名をそのまま言うのではなく、季節や趣旨、開催する所の名前や立地を考慮した『銘』を付ける。 なるほど『銘打つ』の『銘』、『名』ではないのか、と。これは、なかなかの驚きです。
 お茶もお菓子も、味わうものとしても、かつ、表現のための道具としても、活用しているのでしょうか。

 2002/01/01  はじめに
   
 中国茶だけでなく日本茶、珈琲を含めた「お茶する場面」について、考えたことを書いていこうと思います。
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